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コラム

「世界」を読む no.9
山に行けない今こそ読みたい〜『帰れない山』『結ばれたロープ』より

加賀山 卓朗

1年のこの時期になると、無性に山に行きたくなる。とはいえ、今年もまたこういう状況で、東京から出ることもままならないし、人気の高い山小屋の利用もためらわれる(まあ、テント泊という手はあるけれど……)。

そこで気分だけでも、と手に取ったのが、パオロ・コニェッティ著『帰れない山』(関口英子訳、新潮社)。山好きの友人に貸してもらった本だが、これがすばらしい。裏表紙の内容紹介には、「街の少年と山の少年 二人の人生があの山で再び交錯する」とある。イタリアのミラノに住む少年が両親に連れられて山に行くうちに、山麓の村の少年と仲よくなり、ともに人生経験を積みながら成長していく物語である。

ミラノというと、ファッションと芸術(スカラ座!)の街というイメージだったが、数十キロ北にはアルプスの山々が迫っていて(東側にはドロミーティ、西側にはモンテ・ローザ)、街中からも山並みが見えるようだ。ますます行ってみたくなった。小説は作者の少年時代を反映しているらしく、山に登る人でなければ書けないような描写がたくさん出てくる。たとえば、主人公が父親と早朝に登りはじめるこんな場面。

「教会の裏手か、あるいは木の橋のむこうが登山道の起点となっていて、森に入ったとたんに勾配がきつくなる。木立ちに遮られる前に、僕はもう一度空を仰いだ。頭上では、氷河がひと足先に陽光を浴びて輝いていた。むきだしの脚に朝の冷気が刺さり、鳥肌が立つ」

歩きはじめには、さあ行くぞというワクワク感と、無事登って帰ってこられるだろうかというわずかに不安な気持ちがあるのだが、それがよく伝わってくる。「街の少年」と「山の少年」は、やがてふたりで山小屋を建て、ひとりがそこで暮らすことになる。いろいろあっても、結局彼らには、お互いしか本当にわかり合える相手がいなかったのだと思う。だからこそ、ラスト近くでワインを酌み交わす場面があれほど切ないのだ。

もう1冊。フリゾン=ロッシュ著『結ばれたロープ』(石川美子訳、みすず書房)は、同じアルプスのフランス側、シャモニーを拠点とした1920年代の若い山岳ガイドたちの話。4000メートル級のモンブラン山群の氷壁に取りつく彼らの命がけの登攀は、当時の貧弱な装備もあって、凄絶としか言いようがない。とくに前半で描かれる極寒の自然の猛威は、日本の酷暑がありがたく思えるほどだ。アルプス山脈の地図を見ながら読むのが愉しい。





【執筆者プロフィール】
加賀山卓朗(かがやま・たくろう)
1962年生まれ。翻訳家。おもな訳書に、『スパイはいまも謀略の地に』(ジョン・ル・カレ)、『ヒューマン・ファクター』(グレアム・グリーン)、『夜に生きる』(デニス・ルヘイン)、『大いなる遺産』(チャールズ・ディケンズ)、『チャヴ』『エスタブリッシュメント』(オーウェン・ジョーンズ/依田卓巳名義)などがある。

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